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お陰様で、

 投稿者:“継続日本”メール  投稿日:2014年 9月 1日(月)12時13分40秒
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  ボチボチと、天震会にも人が集まり出しました。有り難い
ことです。サムハラの守護符を全員に配りますので、是非、
楽しみに!また、12日から16日の間に『生涯整体』に来ら
れる方にも、もれなく配りますので、新規の方は12日以降
が、宜しいかと思います。8名ほど、空きがあります。希
望の日時を3つほど、メールにて仰って下さい。上手く行
くと、予約が取れます。もちろん、賛助会員の皆さんには
送らせていただきます。神頼みみたいで、すいません!で
も、低線被爆は知識と実行でかなり軽減しますが、地震ば
かりは運が決め手と思いまして(なお、5日から8日の間に
『生涯整体』を受ける方は後日、送りますから安心して)。

はじめて、サムハラの話を聴く人の為に言いますと、植芝
先生の守護神もサムハラでそのサムハラに導く為に合氣道
はあると言ったほどの霊験あらたかな神様のようですが、
サムハラの隠語はクワバラで今でも「くわばら!くわばら」
と恐れられているくらいの力の強い神様のようです。

サムハラの歴史(以下、ウィキペディアその他より抜粋)

1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村
(現・津山市加茂町)にて旧い小さなほこらの荒廃を嘆き再興した
のが本社の起源。しかし翌年、大本教事件なので、人気を博す神社
の一斉取り壊しの中、岡山県特高課から撤去を求められ撤去したが、
まもなく、発狂者が出て、村人を無作為に殺害する事件がを行った。
これを題材にした小説が『八つ墓村』の祟りである。戦後ほこらは
再建され、神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で建立した。
1961年(昭和36年)に現在地へ移築遷宮された。

建立者は田中富三郎は1868年(明治元年)3月3日に美作加茂で生ま
れで、万年筆業界の先駆者で「田中大元堂」を経営。加茂西小学校
に図書館を建設、奨学資金を贈るなど児童育成に貢献し紺綬褒章を
授与されている。サムハラ大神をあつく信仰していたため日清戦争
と日露戦争で数々の危難を免れ、サムハラ大神の霊徳を世の人々に
分かつため私財でサムハラ神社を建立!

神前扉材は伊勢神宮より賜わる。戦時中に兵士にお守りを贈る活動
をしていたが、戦後も小判の形のお守りを自費で作成し無料で人々
に配布していた。多くの要人にも贈呈をした。90歳までは自転車を
乗り回すことも平易であり、97歳の時でも壮健で、自らを青年と称
してした。「信仰は万益有って一害なし」と常に提唱。毎朝参拝を
欠かしたことはなかったという。1967年(昭和42年)12月3日逝去
享年100。

*加藤清正は文禄・慶長の役の時、サムハラの神代文字を武器の刃
 に彫りつけていたため、何度も万死に一生を得たという話は有名
 
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