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駆け抜けた20代!

 投稿者:サエグサ龍生メール  投稿日:2016年10月21日(金)17時38分24秒
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  私が齢60にして、最も感銘を受けた人物は野口晴哉。

そして、会ったことは無いが合気道開祖、植芝盛平。

同じく、その底知れぬ聡明さで食養会の麒麟児、桜沢
如一を心から敬服している。桜沢の遺した団体、日本
CIで18歳でカタカムナに出会えた。

それとは別に、長期にわたり、畏敬の念を持っている
人物が、弘法大師空海である。10代の頃、日本CIである
神道家に言われた、日本の著名な坊さんで本当は神道家
がふたりいる。空海と日蓮は仏教の強い時に隠れ神道家
として活躍された特別の人だ、と彼は言った。野口先生
も空海には関心が強く、俄然、興味をもった。

病膏肓に至り、ついに、20歳で、真言、天台、浄土の
仏教大学であった大正大学に入学する。ほとんどが、
お坊さん関係で、完全の一般である2次募集は、80名中
4名の枠で、国文学を受けたが、國語がほとんど、漢文で
あったため、偶然、合格できたが、入ってみると、すぐに
幻滅し、在学のまま、自衛隊第一空挺団、野口整体内弟子、
そして、合氣道養神館内弟子と、慌ただしい学生時代だった。

ちょうど、

全共闘時代で、レポートと試験だけ出て、あとは、最後の
1年は、週1回の体育だけ、塩田館長の許可で出させて貰っ
て、6年も掛かって卒業できた。館長の一言、「できれば、
出ておけ!」の一言だった。塩田剛三館長ありがとう!!

卒業した時は、前例の無い24歳子持ちの単身赴任館内
住み込み(館内には10名ほどが住み込み)合氣道内弟子
であった。養神館を出たのは、29歳と11ヶ月であった!

慌ただしい20代であったが、当事だから出来たとつくづく、
思う\(^o^)/
 
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