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【反日日本人が崇拝する中国共産党の人権弾圧の暗い歴史】 文革前後の30年を中国で費やした米国人女性の過酷な運命【禁聞】

 投稿者:遊撃素浪人メール  投稿日:2019年 2月11日(月)10時44分4秒
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         https://www.youtube.com/watch?v=sB7rAnVURBQ (動画)           2019/02/10 に公開【新唐人NTDTV=米NYに本部を置く中国語衛星放送ニュース】


  米国人の父と中国人の母を持つ韓秀さんは、米国籍を持ちながらも1949年の中華人民共和国設立から30年間、中国で過ごさざるを得ませんでした。
その間には周囲から『敵国人』とみなされて辺境の地で肉体労働に従事させられ、苦難の時を過ごしましたが、米中国交回復前に、晴れて米国への帰国を果たしました。

1946年にニューヨークで生まれた韓秀さんの父親は中国駐在経験のある軍人で、母親は米国への留学生でした。1949年に韓さんは、わずか2歳で中国に住む祖母のもとへ預けられました。

  しかし同じ年の10月1日に中国共産党政権が成立して米国との国交が断絶したため、韓さんは米国の両親のもとへ帰れなくなりました。韓さんの父親は国民党政府に協力した
米国軍人で、共産党政権から敵とみなされていたため、韓さんの苦難の30年がそこから始まることになったのです。韓さんは8歳の時の体験から語り始めました。

韓秀さん
 「天安門で開かれた集会に中学生や小学生も参加し、たくさんの人がいた。アイゼンハワー米大統領(当時)の顔を漫画にしたものと米国国旗が用意され、私は彼らの輪の中に立たされた。
彼らは絵や国旗に火をつけると、口々にスローガンを叫んだ。私はその輪の中にいた」

 1957年に毛沢東の主導で行われた「反右派闘争」によって、多くの知識人をはじめとするいわゆる「右派分子」への弾圧が始まり、韓さんもまた、米国人の父親を持つことで
学校中から攻撃の的にされるようになりました。

 1964年、成績優秀だった韓さんは北京大学付属高校を卒業しましたが、「出自が悪い」との烙印(らくいん)を押されて大学への入学が認められませんでした。学校側は韓さんに対し、
父親や米国と関りを絶つのであれば、清華大学への入学を許可するが、そうでなければ山西省の農村へ追いやると迫りました。 (~文章継続)
 
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